九大博ができるまで
1911(明治44)年の創立以来、九州大学の各学部や各分野の研究室では、教育・研究活動を通じて膨大な量の学術標本・資料が収集・蓄積されてきました。1971(昭和46)年、これらの標本・資料を組織的に整理・保管して効率的に活用し、新たな研究に資するべく、「総合研究資料館」の新設が構想されましたが、残念ながら実現には至りませんでした。
1995(平成7)年6月に、学術審議会から「ユニバーシティ・ミュージアムの設置について(中間報告)」が提出されました。これは、大学における学術標本の収集・保存・活用体制を整備し、多角的な活用を可能にするための「ユニバーシティ・ミュージアム」の必要性を提言するものでした。これを受け、主要国立大学では相次いで大学博物館の設置が計画されました。
九州大学では、1996(平成8)12月に杉岡洋一総長を委員長として九州大学ユニバーシティ・ミュージアム設置準備委員会が組織されました。そして約3年間の準備期間を経て、2000(平成12)年4月1日に九州大学総合研究博物館が設置されました。
年表
学術審議会が「ユニバーシティ・ミュージアムの
設置について(中間報告)」を提出。
主要国立大学で大学博物館の設置が計画され始める。
総合研究博物館構想検討専門委員会を設置。
「九州大学ユニバーシティ・ミュージアム構想」を提出。
九州大学ユニバーシティミュージアム設置準備委員会が組織される。
九州大学総合研究博物館設置。
博物館設置時記念写真
当時博物館教員室がおかれた旧印刷所前にて撮影。中央右は自身の揮毫による「総合研究博物館」の看板を持つ杉岡総長。その左は湯川初代館長。
工学部の箱崎地区から伊都地区への移転開始。
旧工学部知能機械実習工場2階の使用開始。
古人骨資料・脊椎動物骨格標本が医学部から移管される。
博物館ロゴマークが決定。
博物館第一分館
旧工学部知能機械工場。2005年から使用を開始し、古人骨資料、動物骨格標本、考古資料、高壮吉鉱物標本等を収蔵していた。
第一分館1階の歴史的工作機械
旧工学部知能機械実習工場に設置されていた機械類は旧位置のまま博物館に移管・展示した。工場の雰囲気を活かした展示やイベントも多く行われた。
旧工学部本館の使用開始。
旧工学部知能機械実習工場へ考古学資料を搬入する。
旧工学部本館4階会議室の管理が当館に移される。
旧工学部本館に常設展示室がオープン。
六本松地区から玉泉館考古学資料が移される。
旧工学部知能機械実習工場を「第一分館」、
旧工学部4号館を「第二分館」と命名。
常設展示室のオープン
旧工学部本館9番講義室を改装し、常設展示室とした。梶山総長(右)と多田内館長(左)によるテープカット。
プロモーションムービー「キヲクノトビラ」の作成(2012年6月完成)。
前田晴良教授の着任に伴う化石資料の充実。
木製什器の保管場所として旧機械工学実験室が認められる。
工学部4号館2階に昆虫標本を収蔵。
旧工学部2号館残置の装置が移管され、旧保存図書館地下室に保管。
工学列品室の移管と部屋使用が追認される。
第一分館の解体に伴い、資料を旧保存図書館へ移転し、
「第三分館」とする。
理学部が箱崎地区から伊都地区へ移転。
第三分館への資料の移転
第一分館から第三分館への移転に伴い、五十周年講堂で展示していた動物骨を第三分館へ移した。
博物館第三分館
旧保存図書館。第一分館の解体に伴い、古人骨・動物骨格標本、高壮吉鉱物標本を収蔵した。
メインキャンパスが
箱崎地区から伊都地区へ移転完了。
標本・資料を旧工学部本館に集約し開示室をオープン。
旧工学部本館への資料の移転
第三分館をはじめとして箱崎地区内各所に散在していた標本・資料を旧工学部本館に集約した。この写真は現在の動物骨格標本開示室へ展示ケースを移設しているところ。
旧工学部本館にオープンした開示室
旧工学部本館への資料の集約に伴い、各分野の収蔵展示を行う11ヶ所の「開示室」をオープンした。写真は植物資料開示室で、キャンパス移転でレスキューされた歴史的什器が展示に活用されている。
現在当館が所蔵する資料は、自然史系資料1,33,889点、
技術史系資料11,420点、社会・文化・歴史系資料41,477点、
総計1,456,501点に及ぶ。