- 明治以来の日本と九州の産金量の移り変わりをみると、全生産量は745トンとなり、九州の278トンは37パーセントに当たります。1940年におよそ25トンの産金が記録されていますが、これは太平洋戦争突入に備え、国策として金の生産を奨励した結果です。小規模の金山から、経済性を度外視した産金があったためです。また、戦後の経済の高度成長期には、銅鉱山などからの副産物が大量に加わり毎年8トン前後の金が産出されました。
金の価格が自由化された1970年代、世界各地で金鉱床探しが始まりました。日本でも調査が進み、1981年に鹿児島県の菱刈町で金の大鉱床が発見されたのです。この菱刈金山は、1985年の生産開始以来、毎年7トン前後、総量で100トン以上の金を産出しています。金の総生産量が1トン程度をこえる金山の生産量に、菱刈金山の埋蔵量も加えて、全国の地域ごとに金の資源のポテンシャルを評価してみます。九州の金の総量は298トンとなり、全国(631トン)の47パーセントになります。
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- 日本と九州の金の生産量の変化
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