- その後も、石炭の生産は伸び、太平洋戦争直前の最大量と戦後復興の時期の増産、やがて、1960年代にはいると、石油が日本のエネルギーの中心と位置づけられ石炭生産が減っていく様子が見てとれます。1987年の高島炭鉱、1997年の三池炭鉱、2001年の池島炭鉱の閉鎖で九州の石炭生産は終わろうとしています。
これまで九州で生産された石炭の総量はおよそ16億トンになります。埋蔵量としては、なお80億トンが残っていると見積もられています。このことは、ある地域の資源というものは、枯渇して産出が止まるのではないということを示しています。その社会の要求によって生産が始まり、また生産をやめるのだということです。どのようなエネルギーが使われるかは、私たちがどのような社会を作りたいと思うのかによって決まるのです。
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- 日本と九州の石炭の生産量の変化
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